ベルリン


ベルリンまで

 台風が接近していて不安を抱いて自宅を出発。中部国際空港への名鉄特急ミュースカイは平常運行。空港のモニターで出発案内を見ると、ルフトハンザのフランクフルト便も定刻の出発予定。まずはひと安心。
 そして無事離陸。ドリンクサービスは頻繁に行っているが、近頃問題になっているエコノミークラス症候群への対策だろうか。フランクフルトでの乗り継ぎは無事終了。 ただ、かなりの距離を移動するので,規定の最短乗り継ぎ時間である45分では、荷物を預けてピックアップがあれば焦ることになるだろう。
 ベルリン行きの国内線の座席はとても狭い。自分の座席は非常口の横だから前席との間隔は広いけれど、事故などの非常時には客室乗務員の指示に従う必要があるのに、ドイツ語はもちろん英語もダメな自分が座っていて良いのだろうか。


ベルリンの夜

 ベルリンは20年以上前の、まだ壁があった時代に訪れたことがあるが、あの時は西ベルリン唯一の駅であるツオー駅に夜行列車で到着した。今回は空港からタクシーでも構わないと思っていたが、ホテルに近いツオー駅へ向かう路線バスに簡単に乗ることが出来そうなのでこちらにする。車内には次のバス停が電光掲示されるので安心だ。もっとも駅前は以前と変わっていないようで景色だけでツオー駅であると分かる。寒さをしのぐために入ったマクドナルドもあって懐かしい。

 予約してあるのは駅の近くにあるALSTERHOFというホテルで、迷わずに行くことができて、チェックインもスムーズに終了。部屋はきれいだが、カーテンを開けると目の前を人が歩いている。日本の1階にあたる部屋というのはとても珍しい。
 ベルリン名物のカレーソーセージを食べたいので、ツオー駅のフードコートへ。英語も通じるし、しかもアメリカやイギリスのように母国語ではないから早く話さないので理解しやすい。また、イタリアやスペインほどスリなどを警戒する必要もなさそうで気が楽だ。


ポツダム

 翌朝、ツオー駅前の案内所で、1日乗車券を8ユーロで購入する。これがあればベルリンだけではなく郊外のポツダムまで行くことができる。列車は中距離列車のようで通過駅もあり快適な車内。あのポツダム会談が行われたツェツィーリエンホフ宮殿へは、地球の歩き方に書いてある通りに路面電車とバスを乗り継いで簡単に到着。

 トルーマンやスターリンが会議をした部屋には赤い絨毯が敷かれ、奴ら彼らが座った椅子が残されている。良くも悪くも日本の戦後がスタートした場所であり、GHQの政策を考えると腹立たしく感じることが多いけれど、今は深く考えずに、旅行者として歴史上の重要な舞台を眺めておくことに留めておく。今晩は夜行列車でベルリンを離れる予定だから、あまり時間がない。ポツダムで一番の観光名所といえるサンスーシ宮殿は見ないでベルリンへ戻る。


博物館

 ポツダムの観光が順調だったので、ベルリンへ戻ったのはまだ昼前。ツオー駅前から多くの観光名所を経由する路線バスである100号系統の2階席の最前列から、カイザーヴィルヘルム2世記念教会や戦勝記念塔、ブランデンブルグ門などを眺めながら進む。
 目的地は博物館島にあるペルガモン博物館。ここにはヘレニズム文化などの門や城壁といった建築物がそのまま移築されている。ルーブルとかメトロポリタンとかいろいろな美術館でそれなりの数の名画を見てきたけれど、この博物館が一番なのではないかと思えるくらい素晴らしい。
 この島にある他の博物館との共通券を買ったし、時間もあるので近くにある別の博物館を2か所訪れるけれど、ペルガモンを見た後では残念ながら感動もない。
 バスでポツダム広場へ移動し近くの絵画館へ。ここは手短に済ませ、楽しみしていたドイツ技術博物館で100年前の鉄道車両や第二次大戦の双発戦闘機メッサーシュミット110などを見る。


ベルリンの壁の跡

 バスから眺めたブランデンブルグ門へ。
 今は門の下をくぐることもできるけれど、ベルリンの壁近くの東側にあったので、近づくことができなかった。 上の画像は壁が崩壊する4年前の1985年2月に訪れた時に東側から撮影したもので、当時はこの先数十年は壁があるだろうと思っていた。

 次は東西の検問所であったチェックポイントチャーリー。
 当時の建物が残されている。東ドイツへの入国で緊張したことが思い出される。